予告篇 第一弾

予告篇というからには本編がなければならぬが・・・。
まったく予測が経たないところで始まった展覧会であるが、作家たちは至極、真面目にそして真剣に考えている。
作家たちはそれぞれ三人三様、壁に向きあい、静かに展示をしている。別に奇をてらったり、相手のことを意識してはいない。
しかし、不思議と場に浸透し、作品同士はいままでずっとあったようにそこになじんでいる。暖かな空気が流れているのは私の錯覚であろうか。会期が長いのでまだまだ、場が、作品が変化をしていくであろう。
5月11日は出店久夫のパフォーマンス、写真コラージュの消しと再現、伊藤の、作品によるパフォーマンス、多田のサウンドエンカウンター、そして3回連続予定の西江のトークが始まった。

出店久夫
伊藤誠
伊藤誠
伊藤誠
伊藤誠
多田正美
多田正美


出店はパフォーマンスは初めてだそうだが、壁に架かる写真コラージュの作品に鉛筆、木炭などを大胆に使い写真を黒く塗りつぶしていく。
時間は20分程度だが、豊かな黒煙を上に乗せ、うっすら透ける写真は、異次元のものを孕んでいるかのように滑らかにみえる。
予告編 出店久夫パフォーマンス / 5月11日 双ギャラリーにて – YouTube



伊藤のパフォーマンスは、架かっている作品が伊藤の顔と一体化して面白いというか、何を考えて作っているのか、少しは分かるようにも思える。fathomというのは水深を表すというが、ギャラリーの内部を水の中と仮定して、天井につけた A~F のシールに棒をあててその水深を計る。
それを作品の中に仕掛けたコンタクトマイクでFMの電波を使ってスピーカーから音を流すという仕掛けである。
予告編 伊藤 誠パフォーマンス / 5月11日 双ギャラリーにて – YouTube



多田は、今回は従来の動きのあるサウンドから一変してまったく動かない静のサウンドを実践した。何時もつかう竹も石もその他諸々の楽器?はどこにも見えない。そこにあるのは、インドで購入したふいごだけ。それを使って、静かな永久の時を刻むかのような音、音はどこかへ消えていき、われわれ観者の、感覚、いや、心の中にしみ込んでいくのを感じる。
▶ 予告篇 多田正美パフォーマンス / 5月11日 (20’13”) – YouTube


西江雅之
西江雅之
西江雅之
西江雅之


予告篇 西江雅之トーク みる
予告篇最初のテーマは「みる」である。
3回の連続のトークは、作家たちを交えたミーティングで、敢えて「みる」「きく」「はなす」という平仮名表示を使って語ってくれることになった。いままでの体験上、西江は話のパフォーマンスと捉えることも出来る。話が始まると、何時の間にか、聴衆(観者ともいえる)のわれわれは、西江のもつ言葉の魔術ともいう世界に投げ込まれているのを、肌で感じてくる。これから3回に及ぶ話を、わくわくする期待を込めて待っている。わたしが一番待ち望んでいるのかもしれないが。
文章に出来ることなどできないが、ほんの少しだけ、彼のテキストから抜粋で触れてみることにする。
「自分の皮膚の内部と外部のつなぎ」に関して。今日の話題は、皮膚の内部の”物”(脳、神経器管、など)の働きに関してではない。すなわち、自分と下界の関係において、起きている、または起こる”こと”について。常に”現在形”である、”みる”、”きく”、”はなす”ということについて。本来は、この三種の要素は溶け合っている。“同じ行為の三側面である。
この話から始まって2時間あまり、話はますます架橋に入り、最後のテーマに戻っていく。
”みる”ことは、対象との関係において、身体とそれを包む下界との全体的働きかけである。  それには”色”、”形”、”平面”、”立体”ということだけでなくて、”時間”、”空間”や”感覚”、“情動”、”記憶”(そして、思想)も加わる。その背後には、“文化”が、深く関係している。  (”文化”とは)。また、そのあり方は、あくまでも個人的なことである。
このイベントは、Ustreamにてライブ配信された。