展示期間: 2015年6月19日~7月12日
彼女は筆を使わず、独自の技法で色彩を押し出すように描いていきます。そしてその色彩は、彼女自身が制作したキャンバスの側面まで溢れ出ています。
山田恵子の新しい一面が観られる、非常に意欲的な展覧会だと思います。

源泉としてのトポス —「絵画」—
造形芸術としての彫刻(立体)は、実の空間状に表出されているものであり、絵画は、矩形という平面状によって現されるものである。通常、我々は、それを触れて感知するよりも、眺めたり、見るという行為による状態で接する。表出される在り方、成り立ちこそ違うが、芸術体験としての眼差しによっての体感は異なるものではないだろう。まさに体感こそ、双方を結びつけているものだ。
散策するかのように眼と心は、自在に構造化されたイメージの中に…触発されて編み込まれてゆく。そして、はたと一枚の絵画、彫刻としての像という存在に気づくように捉えていく。
私は、絵画から、ある時期より立体へ、あるいは彫刻の位置に立って創作をし続けてきたが、平面という場に再び立ち合い、立体との相異が、改めてみえてくるようだ。
カンヴァスとして設えられた平面という場を、絵画として存立するものとしての構造体と捉える。私にとって、この構造体である絵画は、色彩に充ち溢れている言わば「光の領域」であり、外の世界と切り離されて表出されているのではなく、外との連なりをもって生ける、常なる「泉地」であると言えよう。それは、創造的なトポスなのだ。
光は色彩そのものによって充ち溢れている。燃え続ける為には、酸素が与えられるように泉の如く、湧き、溢れ出る表出された色彩の生成は、新たな瞬間の連続であり、絶えず、そととの供給としての見えない拡がる空間を取り込む。色彩は、その現れであり力である。とはいえ、フレーム内の空間は、ダイナミックな外へと繋がる可能性を秘めた構造の要素であるが、しかし即、連続的な空間とはなり得ず、普遍的な外部へと繋がるような構造であり、イメージとしての内部空間なのである。
私にとって「絵画」とは、奥深い空間であると共に、絶えず充ち溢れている「源泉としての表層のトポス」なのである。
山田恵子
YAMADA Keiko
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