会場風景
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80年代、現代美術の中においては絵画、彫刻は終わったとも言われ、絵画は平面作品であり彫刻は立体という言葉で括られていた。
しかし、現代美術という言葉も2000年を超えた今、何か風化されたものに感じられ、言葉のこだわりも技法の云々も意味をなさなくなっている。高々20年という時間のうつろいは意識をも大きく変えてきたように見受けられる。
ことさら現代美術とか絵画などにこだわるよりも、良いものは良い、好きなものは好きだと、より人間の本質に近付いたのかとも言えるのだが。
声高に叫んでいた意識を引っ込めると、自然体で作品に向かえる事も確かである。

双ギャラリーと縁の深い4人の作家は、吉澤を除いては70年代、80年代を日本の現代美術の中心的存在として活動し、今も旺盛な作家活動を続けている作家たちである。

島州一は版という技法を使って、あらゆる可能性を模索し続け一時代を築いた作家である。島は丁度双ギャラリーがオープンした80年代半ばは、絵画へと方向性を変える時期でもあった。
版画の思考から出発し、コンセプチュアル絵画とは島の絵画へのネーミングであるが、木炭のドローイング、グアッシュ、油彩25号、120号と同じ形、同じ色を使いながら写していくとも言える描きである。同じ形に同じ色彩を使って、サイズ、技法を変えていく内に、作品に向かう気持ちは次第に変化し、同じ形体は見せていても、全く異なる作品に見えてくるのは不思議でもある。
絵画に移行した頃は最終的には版画にも変換していたのだが、その内に、描いた形体を木で作る平面オブジェにまで発展していった。絵画に描かれた夫々の形を木に切り取り、段差をつけて平面的に作り上げていくのだが、無彩色の形は段差によって色彩を現しているという。
10数年にわたった双ギャラリーの展覧会の中で、島の作品の変貌のプロセスに関われたのは、企画をする自分にとっても大きな収穫だった。

菅木志雄を絵画に入れるには、首を傾げる人もいるかと思うが、十数年の双ギャラリーの展覧会の中で一回だけ、「素景にそって」という平面作品の展覧会をしたことがある。
展覧会では、菅が絵画に寄せてレクチャーを行い、カタログにもテキストを書いたが、従来からの平面という思考から絵画へという方向性がはっきり提示されている。それまでにも、ドローイングやコラージュなど平面作品も多いのだが、それらの作品は、菅の言葉を借りると立体作品への変換を意識したものでしかなかったそうだ。純粋に絵画という思考をもって制作した 始めての作品であるという。狭い双ギャラリーの展覧会に、全紙大も多数含みながら60数点の作品を制作した。それは絵画の領域をも押し広げる多彩な作品群である。
彼の強固なコンセプトに裏付けられてはいるが、絵画としても充分楽しめ、絵画本来の資質を充分に発揮している。
作品は紙にペンキを素材にして描かれているが、鉛筆、筆、バイヤステープetc.、紙も多様な素材を使用しながら、身体性のあるエネルギッシュなものである。
しかし、今迄の彼の作品と大きく異なるためか、見る人たちには戸惑いもあり不評であったのだが、今も新鮮でイキイキとした新しい絵画表現であると思っている。少し早すぎたのかもしれない。作家は一歩先をいっている。1991年に制作した作品は2005年の今、イキイキとした彷徨を放っている。

李禹煥について今更何かを書くというのは、たいそれたことであるだろう。
1960年代後半から、菅木志雄たちとモノ派という括りの中にあって、鉄や石、ガラス、木、etc.あらゆるものでのインスタレーションがあり、同時平行して制作された絵画の作品は立体とは異なるところで、確固たる存在感を持ち続けている。
70年代はFrom Point, From Line と10年に渡って ストイックな点と線を描き続ける。80年代にはいると、East Winds、From Winds、With Windsというシリーズで風を追ってきた。 その後90年代はcorrespondance という構成的な作品に大きく様変わりをしていく。
さらに進化する絵画は大きな画面に点がひとつ叉はふたつだけに凝縮され、ほとんどの画面は余白である。この白い画面の前に立つと大きな宇宙がみえてくる。同じ点であっても、一気に描かれていた点とは異なり、画面の中にある点は熟慮された 絶対の意味、存在を持つようだ。緊張感のある点は、何度も筆で絵具がのせられており物質的な点でもある。
70年代に描かれた線や点はピリピリしたような緊張感を伴うが、近年の点はおおらかである。刷毛目のあるどっしりした点は、長年続けている立体の存在感に変わってきたように思うのは私だけであろうか。これからも進化続ける絵画を追いながら 同時代で受け取っていける幸せを感じる。

吉澤美香は80年代の初頭、若くして彼女は日本の現代美術の世界に躍り出た。それから20数年、変わらぬスタンス、旺盛な制作欲、80年代後半から共に歩んできた私はそれを痛感する。
初期の吉澤は、タンスや家具、掃除機など身の回りのものに細かな絵を描いている。又細かな絵を切り抜いて画廊の壁にリズム感のある動きでインスタレーションする。リズム感は次第に支持体を限定し始めるが、ビニールやポリプロピレンなど、どこにもある工業製品にダイレクトに描いていくという方法に変わるのだが、その方法は今も少しも変わってはいない。
現在展示中の1990年作「はー15」はABS樹脂に、2005年の新作は床材のPタイルに描かれている。形体の変化は時代と共に無論あるのだが、常に躍動感ある不思議なカタチが画面一杯に動いている。
今は亡くなられた高松次郎が吉澤の作品について熱っぽく語られたことを記憶しているが、彫刻ではブランクーシーやアルプのように形体の追求は過去から常にあったのだが、絵画においてはいろんな実験的な試みはもちろん沢山あるのだが、形体を追求した作家は少ない。吉澤の作品はその意味でも絵画史の中に組み込まれる斬新な作家だと言われた。
その意識が彼女の中にあるかどうかは別にしても、身体性のある躍動感溢れるカタチは魅惑的で、20年近い歳月の中にいて、何時も新鮮な感覚でみる事のできる希有な作家と思っている。

「絵画考」とは少し大仰なタイトルだが、ここで述べた4人の作家は、日本のアートシーンの中で牽引力ある活動、制作を続けてきた人たちだと確信をしている。もちろん他にも多様な仕事をする作家は多いのではあるが。
4人の作家たちの作品は、時間の経緯の中にいても常に新鮮な感覚を呼び覚ましてくれる。2000年を超えたアートシーンの中では、形骸化し、すぐにも飽きられるような絵画作品をも多く目にするようにもなっている。
新しいなど、すでにあまり意味を持たなくなった今、絵画に対峙し、絵画に何を求め、何を受け取れば良いのかと、自問する毎日でもある